第1回からずっと見てきた大河ドラマ「真田丸」がついに完結しました。
色々な意味ですごい最終回でした。



ほとんど提督業の話しかしていないこのブロマガに書くのもなんですが、とにかく気づいたところを記憶が鮮明なうちに書き留めておきたいと思ったので、早丸(BSプレミアム/18:00-55)と本丸(NHK総合/20:00-55)を見た上で一気に書くことにしました。
テンションがおかしい状態で書いているため話が全然まとまってない可能性がありますがご容赦ください。


なお、記事の性質上ネタバレしか含まれてないので、未視聴の方はまず本編を見ることを強く推奨します。
大丈夫な方は下へスクロール。






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◎ダメ田十勇士
BSの放送が始まる直前、総合で17:40から放映されたショートムービー(以前からWebで公開されていました)。
真田十勇士をモチーフにした本編とは関係ない作品…のはずでしたが、最終回の冒頭で十勇士の面々がいきなり登場、信繁と言葉を交わします。
あまりに唐突過ぎて面食らいましたが、後で考えてみるとただのゲスト出演ではなかったように思われました。→後述①


茶々と信繁
茶々「城とともに滅びる夢」→一般的な大坂夏の陣の結末
信繁「燃える城の中で喉を突き…」→同上
「万に一つ徳川兵が城に攻め込んできた時は、和睦の使者として千姫様を秀忠の陣へ」
  →後述②


内記との会話
内記「人の値打ちは己が決めるのではなく、時が決める」
  →江戸時代に講談で親しまれる真田幸村
「日の本一の兵として語り継がれるに相違ございません」→同上
信繁「どんな終わりを迎えてもか」→後述①

"蝉の鳴き声"は過去にも出てきた記憶があり、伏線回収の意味があるはずですが、具体的な回は失念。


正純の策
「秀頼に降伏を促す、四国への国替えなどの条件を盛り込んで」
秀頼は通告を受けるなり一蹴してしまいましたが、信繁が茶々に話した内容と重なっていた部分も多いです。→②

毛利の奮戦(ほぼナレーションだけど)
毛利勝永を評した「惜しいかな後世、真田を云いて毛利を云わず」への返答かも。

家康本陣に真田が迫る
逃げ始める瞬間の家康の顔が完全に伊賀越え状態でしたね。
「旗印が倒されたのは武田信玄に敗れた三方原の合戦以来」というナレーションも良い。

豊臣の馬印
大野治長、最後の最後で大蔵卿局そっくりの大やらかしをしてしまいました。この親にしてこの子あり…。

戦闘シーンのなかった明石全登
史実でも敗走し行方知れず、とされています。

城を出ようとする秀頼と止める茶々
茶々「生きる手立てはまだあります」→②

内記と作兵衛の最期
内記は城内で奮戦するも力尽き、昌幸の位牌を手に(よく持ち歩いてたな)。
作兵衛は野戦で撃たれた後、大坂城内の畑まで戻り、その土の上で。
どちらも真田の郷を思わせる演出でした。

信繁vs家康
信繁が本陣に迫り、家康を撃つものの1発目は外れ。
問答の末に2発目を撃とうとした瞬間、秀忠隊の射撃を受けて銃を落としました。

最後に勝ったのは家康ではなく秀忠、という結末。
「偉大な父を持って苦悩する2代目」が多数登場する中で活躍を見せた数少ない人物であり、
盤石な徳川治世の象徴といえる描かれ方でした。


信繁の最期?
史実通り寺に逃げ込みますが、発見した兵に討ち取られるのではなく、
握り拳の指の間に刃を仕込んで突く昌幸直伝の喧嘩殺法(第38回「昌幸」より)で倒し、佐助の介錯で自害するという流れ。
ただし死の瞬間が直接描写されなかったのがミソ。→①

豊臣方の最期?
秀頼たちは炎上する天守閣を別の場所から見ていますが、茶々の言うとおりに行動したのか、一般的な描かれ方とは異なり、死ぬ準備はしていないように見えました。
千姫も無事に秀忠の陣へ到着しています。→②

信之
ラストシーンで本多正信から国づくりを学ぶ信之。
上田(後に松代)藩主として「江戸時代の人間」になっていく姿です。
源三郎の出番は太平の世が訪れてから、という昌幸の言葉が思い出されます。

六文銭の紐が切れたことは信繁の死を表していると受け取れますが…。→①

信之は松代藩十万石の大名となり、その松代藩は徳川幕府崩壊のきっかけを作る佐久間象山を生むことになるが、それはまだ遠い先の話…というナレーションで物語は幕を下ろします。
ドラマで描かれた部分だけでなく、それ以降も歴史は切れ目なく続いていくのです。



「真田丸」は、複数の説がある出来事について、それらを上手く取り込む形で描く傾向にあり、最終回にもその特徴がよく出ていたように思います。


①真田幸村の行方
まず念頭に置くべき点は、第40回で信繁が「幸村」という別名を作ったこと。
真田丸の信繁は「生前に幸村と名乗ったことはない」という史実を軸として、
江戸時代の講談で語り継がれる「真田幸村」の要素をミックスしたキャラクターになっています。

講談・創作における「真田幸村」の特徴は以下の2つ。
・「真田十勇士」と呼ばれる忠臣がいた
・大坂の陣で討たれることなく、豊臣秀頼を守って薩摩へ逃げ延びたとする説がある

最終回の信繁は自害の直前で描写が終わっており、信之の六文銭の紐が切れる演出もあることから、死んだと考えるのが自然ではありますが、
真田十勇士をモチーフとするダメ田十勇士を本編に登場させることで講談の幸村生存ルートも否定はしていない、と捉えることができます。

介錯を務めた佐助についても、藤井隆さんのインタビューで「(十勇士の)猿飛佐助ではない」と明言されていますが、
大坂入城時に幸村ともども講談の佐助へとクラスチェンジした、なんて考え方もできそうな気がします。
ダメ田十勇士に猿飛佐助相当のキャラがいないのも何となく意味深ですし…。


死ぬにしろ生き延びるにしろ、"どんな終わりを迎えても"真田幸村の名が後世に語り継がれることに違いはないでしょう。内記の言った通り。


②秀頼の行方
過去の作品で描かれてきた大坂の陣では、炎上する大坂城の中で秀頼・茶々・治長らが自害するのがお決まりでしたが、
真田丸での描写は先述のように異なり、直接的に死が描かれていません。

千姫については史実でも救出されていますし、信繁の思惑通り「和睦の使者」として行動するとは考えにくいので、これまた秀頼たちは助からなかったと考えるのが自然ですが、
①と合わせて生存ルートを想像する余地が残された終わり方でした。




最終回の視聴を終えて
見る→来週が気になる→見る→来週が気になる→…の繰り返しで、1年間があっという間に過ぎてしまいました。
毎週欠かさず全ての回をリアルタイムで見た大河ドラマは「真田丸」が初めてでした。
毎回見終わった後にどんどん感想が出てくる大河ドラマも「真田丸」が初めてでした。

日本史はあまり得意でなかった私ですが、このドラマを見て、自分で色々と調べた結果、戦国時代後期の流れはだいぶ理解できるようになりました。

大河ドラマは登場人物の数が非常に多いですが、みんなキャラが立っていて記憶に残っていますし、全ての登場人物が愛すべきキャラだったと感じています。

常時ネットから視聴者の感想が返ってくる中で、(知名度が低く創作と誤解されやすい)最新の研究を思い切って取り入れつつ、飽きさせないストーリーを作り続けるのは並大抵のことではありません。
最終回は一層難しかっただろうと思いますが、最後まで「真田丸」らしく、上手い終わらせ方をしてくれたと思います。

他にも思い出やら何やらが次々と頭に浮かんできますが、多すぎて全然まとめられないのでこの辺にしておきます…。


いち視聴者として改めて、制作に携わった全ての方々に感謝します。
素晴らしい作品を本当にありがとうございました。